SKATEBOARD

競技について

  • ストリート

    源はストリート(街中)に存在する斜面、縁石、手摺り等を利用して技(トリック)を楽しむ事に由来する。現在では同様の構造物をコンセプトに改良した障害物(セクション)を設置したスケートパーク等が世界各地に作られ、競技会等も盛んに行われている。有名なところではX-GAME、ストリートリーグなど世界中でテレビ放映をされている。2020東京五輪の追加種目候補(採点競技)。

  • パーク

    源はカリフォルニアなどの高級住宅や別荘にあるプールを滑ることから始まったスタイル。1980頃からお椀型のボウルと呼ばれる専用施設が作られ楽しまれてきたが、移動や仮設が楽なハーフパイプの普及が進み数年前まではバーチカルの一部として認識されていた。しかしX-GEMEなどの大会でサイズの異なるボウルやウォールを組み合わせて複雑なコンビプールが開発され、スピード感などスケートボードの魅力を強く表現する種目として再生。2020東京五輪の追加種目候補(採点競技)となる。

  • バーチカル

    語源は「垂直の壁」を意味する。スノーボードのハーフパイプのルーツとして知られており、空中での技(トリック)を競う。U字型の台はハーフパイプまたはランプと呼ばれ、他にもお椀型のボウルや、深皿型のプールなど、R斜面のフィールドを基本に構成されたコース全般を総称する。2020東京五輪の追加種目候補として注目をあびているパーク競技は、複数のRセクションを複雑に組み合わせたコース「通称メガプール」で競われる(採点競技)。

  • フリースタイル

    平らなフィールド(フラットランド)でスケートボードを回したり、裏返したり、横に倒して乗ったりしながら技術を競う。スピンの日本記録は秋山勝利氏の36.1/4回転。スケートボード競技では唯一、選手が自分の選曲した音楽にあわせて競技する。採点基準もフィギュアスケートに近い(採点競技)。

  • スラローム

    スキー等と同じく旗門を設置してタイムで争う。国内では160cm間隔のショート。210cm間隔のロング。不規則に並べるスペシャルなどがある。またトーナメントで争うデュアル(2人同時に滑走)など一目瞭然なエンターテイメントな競技方法もある(計時競技)。

  • ダウンヒル

    国内では何年も開催されていないが、文字通り長い下り坂でタイムや、最高速度を競う。国内では1998年に修善寺サイクルセンターで開催された大会が最後だが、海外では現在でもテレビ中継されるほど人気種目(計時競技)。

  • その他

    ハーフパイプのバーチカル部分をカットしたU字台はミニランプと呼び、様々なサイズ設定が可能なため、初心者用のトレーニング台として人気がある。

日本と世界のスケートボードの歴史(要約)

他のスポーツ同様に諸説があるようだが、1940年代のカリフォルニアで木の板に鉄製の戸車を付けて滑った遊びが始まりとされている。50年代に入りローラーダービー社から「ローラーサーフィン」という木製チップとゴム製のホイルが付いたオモチャが売り出され、これが現在のスケートボードの原型と言われる。

60年代に入るとホイルの材質がゴムからウレタン素材に変わり、滑走性能が飛躍的に向上した。日本でもサーファー達を中心に愛好者が激増し、続に言う「第1次スケートボード・ブーム」が到来。

70年代は錆やすいボール・ベアリングに替わってシールド・ベアリングの採用で始まった。アメリカではブルース・ローガンやラス・ハウエルなどのヒーロー選手が誕生、フリースタイルとスラローム系に加え、バンク・ライディングの要素も取り込み熟成を進めていく。他にもクリス・ヤンデル、タイ・ページ、トム・シムスなど、時代を飾る世界的ヒーローが続々と登場してくる。

70年代中頃、ついに巨大な波が日本にも上陸。各地の公園や駐車場では当然の光景のようにスケートボードで遊ぶ若者達の姿が見られる様になる。特に原宿にある代々木公園の歩行者天国はメッカとして全国にその名を轟かせた。

76年夏に日本初の若者情報誌「ポパイ」が創刊。スケートボードは一気に日本全国の若者達の必須アイテムに発展した。「第2次スケートボード・ブーム」が到来し、日本国内でも秋山弘宣・秋山勝利・西岡昌典、松本栄吉・田口政人といったヒーローが続々と誕生していく。

79年5月には野末雅之氏の監修のもとハウツー本「スケートボードは僕をロケットにしてくれる」(鎌倉書房)が出版される。同年夏には渋谷・東急文化会館(現ヒカリエ)屋上に「カリフォルニア・スケートパーク」がオープン。この時期を前後して日本各地に大小様々なスケート・パークが続々と誕生する。ピーク時には大型パークだけでも国内で約20カ所も存在した。

一連のブームが落ち着きを見せた81年秋、日本各地に存在した様々なスケートボード協会・連盟に変わる形で、全日本スケートボード協会(初代会長:秋山弘宣)が設立。過去の教訓から地道な選手育成に力を入れ、確実に日本のレベル向上に努めた。

しかし82年に始まったスノーボード・ムーブメントがスケートボードの方向性を変えていく。溝部薫、松島勝美、豊田貢といったトップ選手がスノーボード界でも活躍。 同様に古川勇はサーフィンで活躍。アメリカの雑誌「アクション・ナウ」の影響もあって、今で言う横乗り文化「アクション・スポーツ」というカテゴリーが誕生し、双方向で刺激しあい、競うように各分野で発展していく。

80年代中旬、世界的にはスティーブ・キャバレロ、マイク・マクギル、トニー・ホーク、ロドニー・ミューレンといったパウエルチーム全盛期が始まり、トリックの時代が幕を開ける。オーリーはアラン・ゲレファント。マックツイストはマクギル。スノーでもポピュラーなキャバレリアルはキャバレロといった、昨今のXスポーツと言われているカテゴリーに多大な影響を与える事になった。ちなみにジャパンエアーというのは、当時、彼らが来日した際に日本生まれのフランス人スケーター、フィリップ・メントネが清瀬スケートパーク(現在は閉鎖)でセッションした時に、彼の独特なエアーを見たキャバレロ達が帰国して広めたトリックである。

80年代後半にスケートボードは更に新たな発展を見せる。フリースタイラーであったスティーブ・ロコがストリート・スケートを確立。同時期にクリスチャン・ホソイが音楽とファッションを融合し独特なカリスマ性を持った時代のヒーローとして現れる。しばらく静かだった日本のシーンでもジャンプランプでのトリックを中心に「第3次スケートボード・ブーム」が始まる。

90年代に入るとスケートボードは完全にストリートの時代を迎える。トリックの複雑化が始まり、道具の多様化、靴の多様化、アパレルの発展等、日本のファッション誌でもスケーター系などという単語が多く見られ様になる。コラボレーションも益々盛んになり、グラフィックや音楽などの様々な分野にも進出。ついにストリート・カルチャーなどというカテゴリーまで作られ、流行に敏感な日本の若者達を刺激した。

94年、ファッション&ビジネス・アイテムの1つになった感のあるスケートボードを、純粋に考え直そうという当時の中心選手達が結束し、協会も含めた日本のスケートシーンの再構築が始まる。バブル崩壊の影響で不定期な開催状況の競技会を定期化し、スケートボード本来の「滑る楽しさ」を前面に押し出し活動。その後、X-GAMEなどの競技会を中心とした複合イベントの影響などもあり、過去3回はブームとして一過性であったスケートボードが、日本上陸約40年を経過して、ようやく日本人に浸透していく。

21世紀に入ると、日本人の海外進出も珍しい事では無くなっていった。海外のメディアにも登場する頻度は高まり。コンテストでも好成績をあげる選手が登場する。日本人のレベルも着実に進歩してきている。しかし、アメリカを中心とした海外では更に早いスピードで進化と低年齢化が進んでいる現実を忘れてはいけない。

昨今では初期のブームで愛好者だった若者達が、40~50才代となり行政の要職に就いたり、過去に熱中した20~30才のスケーターが子供を持つ親となり、日本各地で公共スケートパークの開設が進み、親子で楽しめるスポーツとしての魅力が広く浸透し始めている。

そして2015年9月28日。かねてよりローラースポーツとして提案されていた2020東京五輪への追加種目候補としてスケートボードが正式に決定。あわせて弊協会内にスケートボード委員会が設立(初代委員長に一般社団法人日本スケートボード協会会長の宮沢和久が就任)。

2016年8月、リオで開催されるIOC国際オリンピック委員会の総会で承認されると、スケートボードがオリンピック種目として正式に決定いたします。

(初代委員長に一般社団法人日本スケートボード協会会長の宮沢武久が就任)。2016年8月4日、リオデジャネイロで開催の国際オリンピック委員会(IOC)の総会においてスケートボードが2020年東京オリンピック種目として正式に決定しました。

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